交渉決裂に備えた準備は必要か

第4話 交渉決裂に備えた準備は必要か

<電気屋さんにて>

今回のご相談は、家電量販店で値引きをすることについての相談です。相談者のご友人は値引き交渉についてあまりよく思われていないようです。

今日パソコンを買いに友達と家電量販店に行ったところ、欲しいパソコンが39、800円に15%のポイント還元でした。そこでは買わず、近所の家電量販店にも見に行くと、同じパソコンが49、800円でポイントなしと書いてありました。すぐに値段の交渉をしないで、店員さんにテレビについて10分くらいいろいろ教えてもらいました。そのあと、値段が下がるか聞いてみたところ、46、800円までは下げてくれましたが、これ以上は難しいということでポイント還元もなしとのことでした。先ほどのお店のほうが安かったので、そのことを伝えて帰ろうとしたら、友人から「買うつもりがないのに、なんで説明をしてもらったの?店員さんも忙しいのに失礼だと思わないの?それに、ほかのお店の値段を言うのもおかしいと思う。店員さんも嫌な思いをするよ。」と注意されました。これは私が悪いのでしょうか?                                                                                 

最近はネットで最安値を検索できますので、店頭で値段をみた後で同じ商品をネットで注文するということも一般的です。店員さん側からするとお店で買ってもらうために商品の説明をしてくれているのでしょう。でも、お客さんからすると、買う約束をしているわけでもないし、少しでも安く賢く買いたいと思いますよね。さて、どうしたものでしょうか。

 

<バトナとは>


交渉は3つのステップで説明できます。①自分の目標は何か、②相手は何を考えているか、③相手と「何を」「どう」与え合うか、この3つを準備します。

自分の交渉の「目標」(①)というのは、「交渉前にはもっていないもので、交渉後にもっていたいもの」のことです。

さて、私は、「与え合う交渉術」で、できるだけあなたの目標を叶えてもらいたいといつも思っていますが、悲しいかな、すべての交渉が絶対にうまくいくわけではありません。様々な理由で交渉がうまくいかず、決裂となってしまうこともあります。

そうすると、相手との交渉が決裂した場合にそなえた準備も必要となります。交渉が決裂した場合にそなえて、次にとるべきベストの選択をあらかじめ準備しておくべきではないかということです。

たとえば、あなたがひとり暮らしの部屋を借りたいとき、仲介料を払うのが嫌なので不動産屋を通さないで自分で部屋を探して、気に入った部屋が見つかったとしましょう。「月7万円以内で、2階以上で、南向きで、駅近の部屋を借りる」というあなたの目標を叶えるためにオーナーと直接交渉しましたが、どうしても家賃が折り合いません。このとき、オーナーとの交渉が決裂した場合に備えて、交渉中のオーナーの物件より築年数が古いしオートロックもないしペットも不可だけれど、あなたの目標には合う別の物件を先におさえておこうということです。自分の目標が明確にできていれば、交渉決裂に備えた次のベストの選択も準備しやすいですよね。

交渉決裂に備えた次のベストの選択肢のことを、交渉術の世界では、「バトナ」(BATNA、(Best Altenative To a Negotiated Agreementの略))と呼んでいます。

バトナを準備するメリットは、交渉決裂も辞さないという態度をとることができて安易に譲歩をしないで済むこと、気持ちとしても安心して交渉に臨めることがあげられます。逆にバトナがないと、交渉を決裂させることができないので、不利な条件でも飲まないといけない立場に置かれてしまうと言われています。

また、相手のバトナがわかれば、相手が合意できる最低限の条件がつかめますし、相手にバトナがなければ、相手はこちらの条件を呑むしかないので、それだけ優位に交渉を進めることができることになります。

そのため、こちらのバトナを知られないように準備して、かつ相手のバトナを知って可能であれば潰すことが、交渉を成功させるコツだと一般的に説明されています。

ビジネスやお金の交渉場面でのバトナはイメージしやすいですが、人間関係に関する交渉では、交渉が決裂したら人間関係が構築できないので、決裂した場合の次のベストの選択肢がないということもあります。たとえば、「大好きな彼ととにかく付き合いたい」ということが交渉の目標であれば、彼に交際を申し込む時には、彼と付き合いたいということがすべてで、彼以外の人と付き合うなんて考えられないということもあるでしょう。

ただ、こういった場面でも、もっと交渉を小さく段階的に進めることで、「交渉決裂=人間関係が構築できない」という事態を防ぐことができます。たとえば、まずは、「彼と今週末に夕食に行く」ということを目標において交渉するなどです。この場合はバトナも考えられます。

 

<バトナは本当に必要か>


先ほど説明したように、交渉術の世界では、「バトナが交渉力を決める」「相手のバトナが分かれば交渉に勝てる」などと言われることが多いです。

しかし、どういった場合が「交渉決裂」といえるのか、現実的には判断が難しい場合がほとんどです。交渉決裂と思っていたらまだ話す余地が残っていて、交渉の目的に反しない新しい条件を加えれば交渉が再開されるケースはいくらでもあります。そういった状況では、逆に、バトナを準備していたばっかりに、バトナに飛びついて安易に交渉を決裂させるという失敗を犯すことにもなりかねません。

またそもそも、バトナとして準備していた案が、交渉決裂させた後に実現できるかどうか保証は全くありません。バトナがいつまでもバトナであり続ける保証もありません。

更にいうと、交渉相手が必ずしも理性的に判断できるような人とは限りません。相手にバトナがないとタカをくくって強気で交渉したところ、バトナがないはずの相手が感情的な理由から交渉を打ち切ることもあります。相手が交渉下手であればあるほど、感情の高まりからバトナを無視した不合理な対応をとられるリスクがあるのです。

つまり、バトナにばかり目がいってしまうと、逆に相手との間でお互いが満足できる創造的なアイディアが阻害されるおそれが高いということです。「ウォートン流 人生においてもっとトクする新しい交渉術」の中ではこのことを「デートしたい女の子に対して、自分は他にいっぱいデートの相手がいると自慢しているようなものだ」と説明されています。

ただ、相手のバトナには注意を払う必要があります。相手のバトナを考えるということは、「自分抜きで相手はどうするのか」を考えるということです。あなたが相手にもたらすことのできる価値は何かを考えることで、創造的な解決策を産み出すことができるようになります。ハーバードロースクールの研究では、「交渉が成立しなければ、私はどうなるのか」と思い煩いながら交渉に挑む人よりも、「交渉が成立しなければ相手側はどうなるのか」に注目する人のほうが良い結果を招きやすいと報告されているそうです。

そこで、あなたがバトナを考えて準備をしていても、バトナ自体が変化することを認識して、安易にバトナに頼らないという心構えをしておきましょう。

あくまでも、あなたのバトナは、備えのひとつに過ぎず、それよりも目の前にいる「相手」とそのバトナに意識を集中させ、「相手」との間であなたが何を与えることができるのか、目標を達成できるようなアイディアを一緒に創造することがいちばん大事です。

先ほどの部屋探しの例でいえば、バトナも準備はしていても、いつまでその物件が残っているかは分かりません。仮申込をしてバトナを確保できる期間はせいぜい3日位でしょう。その場合、その3日に過度に固執してはいけません。目標の物件のオーナーとの交渉がいちばん大事です。そのオーナーとの交渉が3日以内に終わらない場合にも、すぐにバトナに飛びつくのではなく、目前のオーナーとの交渉にもう一度集中してみましょう。

あながた重要と考えていた「家賃、階数、方角、駅からの距離」以外の条件はすべて提示してみましたか?オーナーのバトナはなんでしょうか?ほかの誰でもないあなたであればできることは何ですか?敷金、礼金、入居時期、引越業者の選定、保証人、電力会社やガス会社の選定など、オーナー側にとって有利になりそうな条件はすべて提示しましたか?オーナーが駄目だといってすぐに引き下がっていませんか?本当に決裂ですか?

交渉が決裂したと思い込んで、実はまだ交渉できるのに諦めている人がたくさんいらっしゃいます。一度で諦めてはだめです。何事もなかったかのようにもう一度接触しましょう。

自分のバトナばかり考えるよりも、いま対面する交渉相手と価値を創り上げることに集中するほうが、目標達成にははるかに近いといえるでしょう。

目の前の相手に集中することが大事です

 

 

 

 

<譲れない最低限のラインは決めておく>


バトナにばかり目を奪われないといっても、自分の中での最低限の条件のラインは設定しておく必要はあります。そうしなければ、目標を達成するという名目のもとに、どんどん条件を譲って、目的にかなわないような結果になってしまうからです。

そのため、自分の交渉の目標のほかに、その目標の達成のために、自分が最低限守るラインというものは、事前に設定しておきましょう。

一般的な交渉術では、バトナを考えることで、このバトナ=最低限の条件のラインと説明しているものもあります。ただ、バトナにばかり目を向けるべきではないことは先ほど説明した通りですし、相手との関係での最低限のラインはバトナを超えることもあります。最低限のラインの設定の仕方としては、自分の交渉の目的を達成できるぎりぎりのラインにしましょう。

 

<今回のご相談>


さて、今回の相談の方をAさんと呼びますと、Aさんは複数の家電量販店でパソコンの値段を確認しています。Aさんの目標は、特定のパソコンを「安く買う」ということです。

Aさんは目標達成のために、家電量販店を複数回っています。最初のお店がX店、店員さんに質問したお店がY店だとしましょう。

Y店での交渉の際、「X店で39、800円に15%のポイント還元で購入する」がバトナです。

Aさんが交渉の目標である「安く買う」という点をより具体的に絞り込むにあたり、他の店舗の値段を知ることは、Aさんにとっては必要なことです。それ自体、全く責められることではありません。

では、Y店の店員さんに長く質問したうえで、X店の値段を伝えて、Y店で買わないということはどうでしょうか。

さきほどお話ししたように、「交渉が決裂した場合にとるべきベストな選択肢」がバトナですが、そのような発想でバトナを考えて準備すると、ちょっと交渉してダメだったらすぐにバトナに飛びつくことになりかねません。バトナはあくまでも頭の片隅に置く程度にして、まずは目の前にいるY店の店員さんに集中しましょう。

店員さんはなぜ、X店よりも安くならないと回答したのでしょうか。相手を知る必要があります。これは、交渉の3つの手順のうちのその②の相手を知るというプロセスです。

相手を知るには、相手から話を聞くことが不可欠です。Aさんはパソコンの説明をY店の店員から受けていますが、これはY店の店員さんがパソコンのどの点について重要と考えているかを知るために必要な過程ですし、Y店の店員さんとしてもAさんと話をすることは、Xが価格以外で何を重要とみて何を重要とみていないのかを知る重要な手がかりとなるものです。つまり、この質問のやりとりは、Y店の店員にとっては負担でも迷惑でもなく、Aさんと交渉するうえで必要なやり取りなのです。

したがって、今回、AさんがY店の店員さんにパソコンについての質問をいろいろしたうえで、Y店では買わないと決めたことは、Y店からみてAさんとの交渉が失敗したに過ぎず、なんら責められることではありません。

ただ、Aさんとしては、本当に交渉決裂なのか、いまいちどY店と交渉してみるべきです。ほとんどのケースでは、いちど価格が下がらないとなっても、その後の交渉で下げてもらえることは可能です。安易に交渉を打ち切った点がAさんとしてはもったいない点だと思います。

ではまた。更新は毎週火曜日です。相談も引き続き募集しています。

Illust by hyoin min、masha krasnova-shabaeva

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