第32話 与え合うことと現実の壁~与え合うことは理想論なのか

相談


今日の相談は、与え合っているはずが、一方的だと相手から言われて戸惑っている方からの相談です。抽象的な話ですが、とても大事な点が含まれていると思います。

こんにちは。私は35歳の会社員で不動産の営業をしています。

日ごろから与えあう交渉を実践しようと、相手の話をよく聞いて、何か交換できるものはないかと試行錯誤しています。

先日、ある部屋の改装を業者さんに依頼したのですが、その業者さんが下請け業者さんにさらに依頼したようで、仕上がりが注文とはまったく違っていて、しかもかなり汚く仕上げてこられました。こんなに酷いとお金を払えませんよ、まずはやり直してくださいというと、代金を払わないとできないとの一点張りです。その業者さんは零細なので、こちらが払わないと会社がつぶれると言ってききません。少しでも払えばやり直しにとりかかると言われていますが、こちらとしてはこんな仕上がりだと全く払うこともできません。できないと言われている以上、別のところに頼むしかないけれど、代金は払えませんし、損害も請求しますよと伝えると、「確かに工事には不手際はありましたが、全く払ってくれないなんて、つぶれろということですね。そちらの主張ばかりで、こちらの言い分は全く取り合っていただけない、譲ってくれない、一方的ですね」と言われてしまいました。

なんだか不手際があったあちらではなく私が酷いみたいに言われて納得いきません。やっぱり与え合うなんて理想論なんでしょうか。

 

 

これまでのおさらい


まずは、与えあう交渉のこれまでのおさらいです。少し詳し目に説明しているので、もう知っているという方は読み飛ばしてくださいね。

交渉は基本的には3つのステップ、①自分の目標は何か、②相手は何を考えているか、③相手と「何を」「どう」与え合うか、という順番で進めていきます。

①「自分の目標」とは、「交渉前には持っていなかったもので、交渉後に持っていたいもの、叶えたい状況」のことです。何のために交渉をしているのかがわからないと、意味のない交渉を続けてしまうことになります。交渉の迷路に迷い込まないように、ゴールを設定しておくことが大事です。目標は具体的であればあるほど望ましいです。

②「相手は何を考えているか」では、相手が何を考え、何を交渉の目標に置き、何を重要とみているのかを考えます。相手のことを知るための具体的な方法は、(ⅰ)相手の話をよく聞き、(ⅱ)相手に適切な質問をする、この2つだけです。相手の話を聞くだけというと、簡単そうにも思えますが、実際には人の話を聞くことはそんな簡単なことではありません。人の話を聞いていると思っている人ほど、実は全く聞けていません。ついつい遮ってしまいがちです。忍耐力がいるものだと理解したうえで、交渉の時間の8割以上は相手の話を聞くことに割いて、自分の話は2割以下とどめてください。

話を聞くときにも、質問をするときにも、自分の一番大事な人に接するときと同じように、常に敬意を払う姿勢を忘れてはいけません。たとえ生理的に嫌いな人でも、礼儀として敬意を払うことはできるはずです。感情的になるのは仕方ありません。感情が交渉の邪魔をすることもありますが、交渉前から感情的になっている方には、その感情をネガティブに受け取らずに認めてあげて、根気強く話を進めていく必要があります。交渉中は一番感情的になりやすく、開始時の不安から始まり、怒りや高揚感などを経て、失望や悲しみや後悔あるいは幸福感などが生じます。これらのうちネガティブなものは事前に準備をすることで防ぐことができます。ネガティブな感情は準備をすることで防ぎ、相手にはポジティヴな感情を抱いてもらうようにしましょう。

感情についても言えますが、人は一人ひとり考え方や、物事の見かたが違います。見たいものしか見えない盲点もありますし、過去のことに囚われて抜け出せないこともあります。目立つ情報にすぐに飛びつくバイアスや、自己中心主義や自信過剰のバイアスもあります。言い方(フレーミング)によるバイアス、同じモノでも自分のモノだと特に高い価値を感じるバイアス、そして最初に提示された条件から逃れられなくなるバイアス(アンカリング)もあります。人である以上、そのことを責めることはできません。ただ、あなたが相手のこと、また自分のことを知るうえで、バイアスの影響は避けることができません。

交渉では嘘やごまかしもつきものですし、つきたくなるバイアスがあります。どうすれば相手の嘘やごまかしを防ぐことが出来るのか、どうやって見分けるのか、嘘やごまかしと見破ったとしてどうすればよいか、自分が嘘やごまかしをしたいと思ったときどうするかなど、いろいろな場面があります。嘘やごまかしは自分や相手の勘違いの場合もありますので、まず立ち止まって、意図的なものなのか改めて検証しましょう。それでも嘘をつかれればそれをうまく指摘する必要があります。ただあなたがごまかしたいと思うときはたいてい準備が足りないだけですし、ごまかしにメリットはないのでやめましょう。

またそもそも、誰と交渉するかということも大事です。あなたの目標に意味のある人、決定権限のある人と交渉すべきですし、その人と交渉できないのであれば、間接的に影響力のある人をこちらの見方につけてその背後の人と交渉する必要があります。

③相手と「何を」「どう」与え合うかでは、あなたの要求を叶えてもらうときに、同時に相手にもハッピーになる「お返し」を渡すというステップです。「お返し」というステップを加えることで、自分だけではなく相手にも目を配ることができて、交渉が失敗することを防ぐこともできます。

「お返し」として「何を」与え合うかは、段階的に、「想像力」と「創造力」を活用して選びとります。相手に敬意を払う姿勢がこれらの力を源となりますので、敬意を払う姿勢を忘れないでください。ただ、注意しないといけないのは、「お返し」として金銭的なものを選ぶのは逆効果になることがあるということです。「お返し」に何が効果的かは相手との距離感によります。

お返しを「どう」与えあうか、与えあう方法として、まだ好意的な関係が築けていない場合、論理的な交渉、つまり、①合理的な理由や根拠と、②交渉の目標との間の因果関係があることが有効です。根拠や理由には、法律や規則だけではなく、相手自身のルール、自分ルールもこれにあたります。相手の自分ルールがわかれば相手自身で自分を説得してもらうことも可能です。そのために謝罪が必要な場面があれば、臆することなくそこまで行うことも必要です。

与え合う際には、あなたの中での公正さと目標達成のためのずる賢さが対立するかもしれません。何が公正かは人によって違います。悩んだときは、そもそもあなたがどんな人間でありたいかということに立ち返ると答えが出るでしょう。

今回は、少し抽象的ですが、与えあうことの現実の壁について考えてみたいと思います。

 

 

与えあうということの難しさ


与え合う交渉というのは、あなたの目標を達成するために、あなたにとって目標達成ほど重要ではないモノ・コトを相手と交換することです。相手と交換するあなたのモノ・コトことは、相手を今よりもハッピーにするものでないと、相手は受け入れてくれません。あなたは相手のことをよく理解して、適切なモノ・コトと交換する必要があります。

ことばにすれば簡単なようにも思えますが、実際にはなかなかぴったりと交換するものが見つからない場合がほとんどです。

また、あなたが相手にとってはぴったりだと思う交換材料を見つけても、そしてそれが実際に相手にとってそれなりに魅力的なものであっても、相手自身がそれを気に入るかどうかはまた別の問題です。相手が理性的な方ではなく、感情的な方や自分勝手な方の場合、あなたが何を提案しても、「与えあっている」と思ってくれないかもしれません。思ってくれないだけならまだマシですが、相手が自分のことは棚に置いて、「こっちはこんなに譲歩しているのに、なんであんたは全然譲歩しないんだ」などと、あなたを責めてきて、交渉がまとまらないなんてこともあるでしょう。こういうことに遭遇するたびに、与えあうなんてただの理想に過ぎないんじゃないかとため息をつきたくなります。

ですが、与えあう交渉というのはただの理想論ではありません。

 

 

与えあう交渉は理想論ではない


交渉をする理由は、あなたにその交渉で達成した目標があるからです。与えあう交渉は、その目標達成のための方法論に過ぎません。力任せの交渉だとうまくいかないことも、与えあう交渉であればうまくいくことがあります。与えあう交渉は、目的達成のための近道なのです。

もちろん、交渉の場面は、対等な関係同士ばかりではありません。あなたが相手よりも優位な立場にあれば、あなたの条件を押し付けることもできますし、力関係が違えば、その押し付けが通ることも多いでしょう。

ただ、人も立場も状況もすべては流動的です。あなたが相手に条件を押し付けることがうまくいくのは、あなたより立場が下の人だけです。自分より立場が上の人と交渉するときには、同じ方法は使えません。使えないだけならまだ良いのですが、普段そういった交渉をしている人は、そのうち下の人からだって相手にされなくなってしまいます。交渉する価値がない人、交渉したって同じことしか言わない、聞き分けのない、柔軟性のない人と思われてしまいます。

昔ならそれでもよかったかもしれません。人との関係も、狭いコミュニティで完結していて、上下関係が入れ替わることも、今ほどはなかったからです。

ただし、世界は広がりを見せています。昔と違って、評判は一瞬でまわりに広まります。しかも、いまは、お金やモノに対する価値と同じくらい、信用や評判に価値が置かれ始めています。そのような中で、力任せに下の立場の人にあなたの条件を押し付けるような交渉をしていると、誰からも相手にされなくなってしまいます。

ですから、交渉方法としては、力任せの交渉は、望ましくないというレベルを超えて、有害な方法です。むしろ、交渉の方法としては、与えあう交渉しかない、というほうが正しいのではないでしょうか。

 

 

交渉が力任せに行われているという誤解


ここまで説明しても、そうはいっても実際には交渉は立場の上下関係で強引に行われているじゃないか、と言われそうです。確かに、現実にはそういった交渉がほとんどのような気もします。

しかし、実際にはそういった強引な交渉というものばかりではありません。交渉というとビジネスをイメージするためそう思いがちですが、交渉はビジネスに限ったものではなく、人と人が何かを決めたり行動したりする際のやりとりすべてを指しますし、関係性が近い人同士では、そういった力任せの交渉はむしろ少ないといえます。

ビジネスの交渉は、最終的にいくらお金が手に入るかという交渉がほとんどです。そうすると、一方の利益が他方の不利益になるという場面が多くなります。もちろん、この場合でも、お金以外の利益もありますし、そこを見つけてほしいのですが、そういったお金以外のものは見えにくくてわかりにくいため、どうしてもお金に目がいってしまいます。こういう場面が交渉の典型例と思いがちなので、交渉=ビジネス=勝ち負けや利益の奪い合いという印象になっているだけでしょう。

ビジネス以外の交渉では、与えあうことは普通に行われています。親子の間での交渉、夫婦間の交渉、恋人間の交渉、友人同士の交渉などなど、その関係が近いほど、お互いのことを思いやる気持ちが強く、相手にもハッピーになってもらいたい気持ちから、交渉が成立している場面が多くあります。近しい関係ゆえに、衝突することもありますが、それもまた力関係ではなく与えあうことで解決できる場面と言えます。

このような、ビジネス以外で普通に行われている与えあう交渉を、それが交渉だと理解したうえで、ビジネスも含めたあらゆる交渉に広げていきましょうということです。決してこれは理想論ではありません。

 

 

与えあうということは自分の利益を追求しないということではない


「与えあう」ということについてお話しすると、生ぬるいとか、そんなことでは相手から奪われ終わりだよ、と反論されることもよくあります。

しかし、このような反論をされる方は誤解をしておられます。与えあうということは、自分のことを一番に考えたり、自分の利益を追求したりすることを、否定することでありません。

繰り返しになりますが、なぜ与えあうことが交渉で大事かというと、そのほうが力任せに交渉するよりも、あなたの交渉の目標達成に近づきやすいからです。つまり、与えあう交渉は、あなたが交渉で得たい目標や自分の利益を、最大限に確保するための方法論です。

どんな方法も、必ずうまくいくというものはありません。決定的に関係が破綻している間同士では、どうしたって交渉しようがないこともあります。それは与えあう交渉も同じです。ただ、力任せの交渉だとうまくいかないことも、与えあう交渉であればうまくこともあります。与えあうこと、具体的には相手にとってもハッピーなものを見つけようという姿勢であり続けることが、交渉をより良く進める可能性を高めるということです。

 

 

今回のご相談


それでは今回のご相談に移ります。

今回のご相談者さんをAさん、相手の会社をB社としましょう。Aさん側から見ると、依頼した仕事をB社がしてくれていない以上、お金を払うことはできませんし、損害が発生していれば請求するというのは当然のことで、なにもおかしなことは言っていないように思います。

他方、B社からみると、自分たちが選んだ下請業者が不良な工事をしたとはいえ、下請業者にもお金を払っている以上、全くお金を払ってもらえないのはたまらないということもいえそうです。そこでついつい、不満を言ってしまいました。

さて、Aさんの交渉の目標は、契約通りに工事が出来るのであればB社にしてもらいお金はそれから、もし工事が出来ないなら、お金は払わないというものです。他方、B社はA社から全額ではないにしてもお金を払ってもらうということです。

この場合、Aさんとしては、B社に何か渡せそうなものやコトを探します。今回であれば、B社を信頼して、一部だけ先にお金を払うということもあり得ますが、代金はAさんにとっても大事なものなので、交換材料にはなりにくいといえます。

Aさんとしては、交換できるものやコトを必死に探したことでしょう。B社にも意見をその過程でもちろん求めました。しかし、B社がとにかく先にお金を払って欲しいの一点張りで、それ以外に交換材料がないのであれば、Aさんとしては仕方ありません。その場合は、交換できるものが今はないということで、Aさんとしては、先に工事をするか、契約を解除して別の業者を探し、代金については払わないという態度を決めるということもあり得ます。

そうすると、結論としては与えあうことはできていないことになります。

しかし、これは、B社が叶えられそうにない目標に固執したためともいえそうです。B社としては、先に工事をして信頼を取り戻すという手も残されているはずです。それをできないとすれば、そもそもの責任がB社にある以上、このような結論もやむを得ません。与えあう交渉はこのような結論を否定しません。大事なことは、Aさんが、B社と交換できるものがないか、必死に考えたかどうか、それだけです。B社に提案しても、B社が意見を変えてくれなかったのであればやむを得ないですし、それはAさんが与え合おうとしていないということにはなりません。

Aさんには、これでくじけることなく、今後も与えあうものやことを見つけようという姿勢をなくさないようにしていただきたいところです。

今回はこれで終了です。更新は主に火曜日です。下にスクロールするとコメント欄もありますので、ご相談、ご感想おまちしています!

photo by Kathryn  

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コメント

    • チビ
    • 2019年 7月 02日

    久しぶりのブログで嬉しいです。多忙な身でありながら今回はいつもより長いブログ。先生の生真面目な人柄を改めて感じました。お金の絡む交渉はイヤですね。私自身、不出来な人間なので、回りの人はみんな素敵でいて欲しいです。産まれから今日まで振り返ってみると、すべてが交渉だと思えます。生きている事も死との交渉だと思えます。人はみんな交渉の波でサーヒィンしてます。次回も楽しみにしてます。

      • 中嶋俊明
      • 2019年 7月 02日

      >チビさん
      「生きている事も死との交渉」というのは、とても示唆に満ちていますね。
      私たちは、死ぬことだけが今の時点で確実に決まっていることですが、死を遠ざけるのではなく、身近なものとして上手に付き合っていくのは、正に生きるということのような気がします。
      交渉の波でサーフィンして、おぼれないようにしてくださいね。

    • くりもと
    • 2019年 7月 03日

    毎回様々なケース、考えさせられますね。頭の体操になります。

    酷さの程度によりますが、注文した内容が達成されていないのであれば、私でもさすがに料金は払うことはできませんね。
    B社の気持ちもわかりますが、営業時に「できない約束」をしてしまったのが悪いかなぁ。売上欲しさにオーバートークをしてしまうこと、気をつけねばですよね、営業マンは。

      • 中嶋俊明
      • 2019年 7月 04日

      >くりもとさん
      いつもお読みくださりありがとうございます。
      B社の営業マンからすると、多少のオーバートークはわかってくれているでしょ、工事が下手なこともたまにはあるでしょ、という感覚があるのかもしれません。そうすると、それを気づかなかったという意味でAさんにも落ち度があるかも…。
      結局は、よくコミュニケーションをとるということに尽きますよね。
      営業は難しいですね。

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