第16話 バイアスに立ち向かう~避けられないエゴイズム、あるいは囚人のジレンマと夫婦の信頼からみる自己中心主義と自信過剰からの解放~

「囚人のジレンマ」と、「死がふたりを分かつまで」


今回は,自分の利益を優先するか,お互いの利益を優先するかを巡る,有名な「囚人のジレンマ」の問題です。また,これが囚人ではなく,夫婦だったとしたらどうなるのかも合わせて考えてみたいと思います。

<問1>

あなたはある罪で,共犯者Aと一緒に懲役5年の求刑を受けようとしています。ただ,あなたも共犯者Aも逮捕されてから黙秘を続けていることから,検察官は次のような司法取引をあなたとAに持ちかけました。

「もしお前たちが2人とも黙秘を続ければ,証拠不十分で2人とも懲役2年しか求刑できそうにない。ただ,お前たちのどちらか片方だけが自白したら,そいつだけはその場で釈放してやろう。その場合,自白しなかった奴は懲役10年で求刑する。お前たち2人とも自白すれば2人とも相場通り懲役5年の求刑だ。」

あなたとAが相談するのも自由です。あなたは,黙秘と自白どちらを選ぶべきでしょうか。

<問2>

あなたは愛する夫と結婚しました。指輪交換の際の牧師の「ここに,2人の人生が重なり,壊れることのないひとつの円になりました」という言葉があなたの胸に刺さっています。死がふたりを分かつまで、夫婦共同の利益を第一にして,個人の利益を第二にするという意味です。

ですが,あなたは自分の両親が離婚し,多くの友人や親族が,相手に裏切られたり騙されたりして傷つくのを見てきたので,牧師の言葉をそのまま飲み込むことができません。もしあなたが,あなた自身のことを第二にしているのに,愛する夫が自分のことを第一にしたら,夫は結婚から多くを得ることになっても,あなたはそうはいかないことになります。あなたは夫とその不安を話し合い,決して自分勝手にならないようにしようと約束しました。しかし,それでも不安は残ります。

あなたは,夫にばれないようにひそかに,離婚のことまで考えて,あなた自身のことを優先させることもできますが、その場合は結婚生活が思っていたほど良くはなくなります。さてどうすべきでしょうか。

何を優先するのか

 

おさらい


これまでのおさらいです。3つのステップで検討すれば大丈夫です。

①自分の目標は何か、②相手は何を考えているか、③相手と「何を」「どう」与え合うか、という点です。

①「自分の目標」は、「交渉前には持っていなかったもので、交渉後に持っていたいもの」のことです。何のために交渉をするのか、最初に決めておかないと、合意してよいかどうかわからなくなりますので、絶対に交渉の目標を決めておきましょう。

②「相手は何を考えているか」では、相手が何を考え、何を交渉の目標に置き、何を重要とみているのかを理解しなければなりません。相手を理解するためには、(ⅰ)相手の話をよく聞き、(ⅱ)相手に適切な質問をする、この2つが重要です。とにかくまずは一生懸命に相手の話を聞いて、それから質問をしたり、適宜あなたの情報を伝えたりして、お互いの重要と思うものが何か確認しあいましょう。この際には、常に相手に敬意を払うことが必要です。時には相手やあなたも感情的になってしまうこともあるでしょう。そんなときも、無理に感情を抑え込むのではなく、なぜそういった感情が湧き出たのかを考えて、上手に感情と付き合うことが大事です。

人は、一人ひとり考え方や物事の見かたが違います。世界観や価値観といってもよいかもしれません。それが交渉の障害になってしまうのが、バイアスです。見たいものしか見ないバイアス、過去に囚われるバイアス、目立つ情報にすぐに飛びつくバイアスなど、いろいろなバイアスがあります。今回は、エゴイスト、自己中心主義のバイアスについて考えていきたいと思います。

 

自己中心主義


だれしも、自己中心主義、つまり自分に都合がよいように認識したり、期待したりする傾向があります。この自己中心主義から逃れるのは容易ではありません。交渉は公正でなければならないと誰もが思いますが、そこでいう公正は、まず自分たちに有利な見方や結果を決めてから、それに当てはまるような公正さを探しがちです。

たとえば、私はよく依頼者から、弁護士費用は裁判に勝てば相手に支払わせることはできますか?という質問を受けます。一般の方は,弁護士費用は負けたほうが負担すると思われているようです(日本の法では弁護士費用は原則として勝っても自己負担です)。この点で、アメリカのある調査会社が、弁護士費用をどちらが負担するべきかについて、調査をしたそうです。質問はふたつ、①「自分が訴えられて、裁判で勝った場合、自分の弁護士費用は訴えた相手が負担すべきか」という質問には、イエスと答えた割合は回答者の85%でした。次に、①の回答者と同じ属性の別の人たちに対して、②「自分が訴えて、裁判で負けた場合、相手の弁護士費用を自分が負担すべきか」と質問したところ、なんとイエスと答えた割合は、回答者の44%しかいなかったそうです。それぞれの質問の回答者の属性に違いはないので、本来であれば違いは出ないはずです。なぜ、違いが起きているのでしょうか。

このとき、回答者の頭の中では、公正の物差しが動いていますが、それが①と②で違う基準で働いていることになります。つまり、①の質問をされた人は、自分以外の人に弁護士費用を負担させる可能性があるときは、敗訴した側だけが負担する方針をとれば、無意味な訴訟の濫発を抑えられるため公正であるとの考えが示されました。これに対し、②の質問をされた人は、相手の弁護士費用まで自分が負担しなければいけない可能性が出てくると、判決はどちらにも転ぶ可能性があるので、一方だけがすべての弁護士費用を負担するのは公正とはいえず、裁判をする人を委縮させてしまうというものでした。

このように、人はだれしも、まずは自分の主張や結果を決めたうえで、理由を後付けで考え、自分の考えや結論を正当化する傾向があります。相手に対して悪印象を持っている場合は,自分の考えや結論を正当化することも理解できますが,このバイアスの注意すべき点は,自己中心主義の発想が相手に対して悪感情をもっている場合に限られないことです。たとえば、夫婦仲が良いと自認する複数の夫婦のそれぞれに,家事の何%を負担しているか尋ね、それを足し合わせると100%を超えることがほとんどです。夫も妻も、実際よりも多くを分担していると思い込んでいるのです(実際には夫のほうにその思い込みが強いのかもしれません…)。

自己中心主義はいたるところでみられ、強固で根深いものでもあります。だれもが公平でありたいと願いながら、そのような自己中心主義に陥ってしまいます。しかしこれを責めることはできません。人はそういうものだからです。人は偏った判断をするものなのです。

大事なことは、自分の中の自己中心主義のバイアスを理解すること、意識すること、そしてできれば、自分以外の人の目を通して考えてみることです。そうすれば、行動の中でそのようなバイアスに基づく行動を修正することでき、「公正でありたいと願う状態」から、「実際に公正な状態」に移行することができるようになります。バイアスは根深いですが、取り除くことは必ずできます。

なお、注意しておきますが、自己中心主義は、自己の利益を追求することを否定するものではありません。あなたが自分の利益を追求することは、何ら責められることではありません。ここで言っている自己中心主義というのは、あなたが自分の利益を追求するにあたって、自分にとってだけ都合の良い見方をしてしまい、交渉がうまく進まなくなってしまう状態のことです。それを避けましょうというお話です。

さて、あなたが自己中心主義から脱出できても、相手が脱出できるかどうかは相手次第です。あなたは交渉を成功させるために、相手が自己中心主義から脱出できるように手助けする必要があります。ただ、自己中心主義の相手に対しては、非難をしがちです。人である以上、何が公正かは人によって違いますから、自己中心主義であることを指摘することは、公正ではないと指摘することに繋がり、相手の人格非難にもつながりかねません。

相手に対して、人格非難だと受け取られないようにバイアスを取り除くには、相手に、自分自身以外の目を通して一度考えてもらうように、粘り強く訴えること、そして相手にも一度落ち着いてもらうことです。焦らせてはいけません。相手に対する批判にならないように、相手に配慮を示して、相手のことを理解したい、ともに問題を解決したいという思いを伝える、つまり交渉の基本姿勢に立ち返ることがもっとも大切ということです。

カメラ越しで客観的に自分を見れるように

 

自信過剰


自己中心主義とも重なりますが、人は、自分の能力について自信過剰になりやすく、自分の将来についても不合理に楽観的に考えてしまい、自分の将来について他人よりも明るいと思いがちです。交渉能力についても、過剰な自信を持つ傾向があるようで、スタンフォード大学ビジネススクールのロッド・クレイマー氏によると、交渉術コースを受講したMBAの学生の内、自分の交渉結果が上位25%に入ると答えた割合は68%にのぼったそうです。

ただ、自分に自信を過剰に持つこと、将来を楽観的に考えることは、難題に直面した時に忍耐を保てる助けになり、物事を前に進めるパワーを与えてくれます。営業マンを採用する基準として、ポジティブ度が高い人ほど良いという人もいます。過剰な自信と不合理なまでの楽観さが、目の前の障害を乗り越えるにあたって、不安や恐怖などのマイナスの要素を取り除いてくれるというメリットがあるということです。

しかし、交渉をする場合には、このような自信過剰や不合理な楽観論は必ずしも良いものとは思われません。

過剰な自信と不合理な楽観さは、すでに「これをやるぞ!」と意思決定をしており、あとは実行するだけという人であれば、強力なパワーを発揮する助けになります。しかし、交渉が始まる前から、交渉中そして交渉後にいたるまで常に「どちらにしようか?」と決断を迫られる交渉者にとっては、過剰な自信と不合理な楽観さは、解決策の範囲と可能性の幅を狭めてしまうのです。交渉の場面で何らかの意思決定をする際には、バラ色のメガネを外さなければいけません。ひとつの戦略が上手くいくはずと思い込み、他の戦略を考えなくなると、交渉は失敗してしまうということです。

節度を常に保ちましょう

 

欲求からくる3つの幻想


人は生来的な欲求から逃れることができません。「こうしたい」「こうありたい」という願いから、①自分が他人よりも優れているとか(優越性の幻想)、②自分は周りや結果をコントロールできるとか(統制の幻想)、③これから起こることは自分にとって良いことだ(楽観主義の幻想)といったバイアスが生まれてしまいます。

①「優越性の幻想」に囚われてしまうと、自分の成功は自分のおかげ、自分の失敗は他人のせいだと思いがちになります。自分が相手よりも、有能で、公平で、正直で、協調的だ、自分が間違えるはずがないと思いこんでしまうのです。

②「統制の幻想」に囚われてしまうと、結果に対して自分が過度に影響を与えることができる、自分がやれば成功できると思い込んでしまいます。例えば、ギャンブルに関して、人はまだスタートしていないレースには、終了していて結果の知らされていないレースよりも高いお金を賭ける傾向にあるそうです。レースへの自分の賭けが、レースの結果に影響を与えるような気がしているということです。これは、明らかに根拠のない不合理な思い込みでしかありません。

また、③「楽観主義の幻想」は、将来の出来事のうち、自分にとって悪い結果が起こる可能性を過小評価してしまい、良いことだけを過大に期待するため、多くの選択肢を吟味できなくなってしまいます。

どの幻想も、人間の本能からくるバイアスですので、意識しても完全に排除することは難しいところがあります。しかし、解決方法は、このようなバイアスがあるということを事前に理解し、すべての場面で落ち着いて、じっくり考え、相手の視点も踏まえて考えるということ以外にはありません。

相手も同じバイアスをもっているので、とにかくお互いに落ち着いて、視野を広げるように心がけるようにすることが大切です。

楽観的でも慎重さを忘れてはいけません

 

今回の問題

さて、冒頭の問いに戻ります。まずは問い1の囚人のジレンマについてです。あなたはどのように考えたでしょうか。

次の表を見てください。

  A 協調(黙秘) A 裏切り(自白)
あなた 協調(黙秘) 2年、 2年 10年、0年
あなた 裏切り(自白) 0年、10年 5年、 5年

あなたの立場ですと、仮にAが「協調」を選んだ場合、あなたの懲役は2年(協調)か0年(裏切り)です。そうすると、あなたとしては「裏切り」を選んだほうが得になります。

他方、Aが「裏切り」を選んだ場合、あなたの懲役は10年(協調)か5年(裏切り)ですので、やはり「裏切り」を選んだほうが得になります。

したがって、あなたにとっては、Aがどのような行動をとるかどうかにかかわらず、Aを裏切るのが最適な選択肢ということになります。

そして、このことはAの立場にたっても同じです。そのため、あなたにとってもAにとっても、裏切るのが最適な結論ということになり、あなたもAも5年の懲役になることが最適な選択肢です。

もちろん、あなたとAが事前に相談して、お互いに黙秘を貫こうと約束して、これが成功すれば懲役2年にすることもできます。ただし、Aがあなたを裏切らない保証はどこにもありません。Aとしては、あなたの約束を反故にすることで、すぐに釈放してもらえる(0年)からです。しかもこうなると、あなたは懲役10年になりかねません。

お互いに裏切らない保証がない以上、お互いに裏切るというのが、もっとも最適な選択肢ということになるということです。

次に問2ですが、囚人ではなく夫婦の場合はどうでしょうか。場面が異なるだけで、問題の構造は問1と同じですから、論理的に考えると、結論も問1と同じになるはずです。しかし、多くの方は違うように考えるのではないでしょうか。そうだとすればそれはなぜでしょうか。

この問題からわかるのは、自己利益を合理的に追及することには限界があり、信頼というあやふやなものに、自己利益をどこまで託すかが、極めて難しいということです。

ふたりの関係が囚人であれば、信頼することなど到底できないということで、信頼に自己利益を託すことはしないでしょう。ですが、夫婦関係を全く同じに考えることはできません。

夫婦だから信頼できるなんてことはない、裏切られることだってある、と考えるのであれば、夫婦の利益をよりも、自分の利益を第一に考えることが合理的といえます。

他方で、夫婦では、信頼こそが重要なんだ、たとえ損をする可能性をある程度伴うとしても、信頼というのは人生から最大の利益を得るために必要なものだ、という風に考えることができれば、夫婦の利益を第一に考えるほうがよさそうです。

これには答えがありません。ただ、大事なことは、こういった問題を考えるにあたっても、自己中心主義のバイアスからすぐに自分の利益だけに飛びついて結論を出すのではなく、相手の立場からも考えてみて、合理的な視点から結論を導いてほしいということです。

自己中心主義になるのは仕方がないことです。ただ、そういったバイアスが確かに存在している、そのことを頭の片隅に置いておいてください。

今日はここまで。更新は原則毎週火曜日です。相談も引き続き募集しています。

Illusted by vin ganapathy

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