前回のブログでは、人生がうまくいっていない人だけではなく、うまくいっている人まで過去を振り返って後悔を感じるのはなぜか、という話をしました。
ですが、実際には、過去の選択が明らかに誤っていて、いまの人生もうまくいっていないので、過去の選択に対する後悔で動けなくなってしまっている人も同じくらいいます。
「あのときあの人を選ばなければ」、「あのとき仕事辞めなければ」、「あのときあそこに行かなければ」等々、後悔し始めるときりがありません。
こういうときに注意しないといけないのは、「あのとき」にどう感じていたかどうかということと、「いま」それについてどう感じるかということを、きちんと区別する必要があるということです。
確かに、今思えば、あのときあの人を選ばなければ良かったかもしれません。あのとき仕事を辞めなければ良かったかもしれません。あそこに行かなければよかったかも。
でも、そうしたからこそ、今目の前の人と出会えているし、今の経験ができているとも言えます。
もちろん、今の状況にもよりますが、もし、今の状況がそれほど悪いものではないのであれば、過去の選択肢が間違っていて、そちらの方がより今の状況が良くなっていた「かもしれない」と思えても、いまのあなたの目の前の愛する人や、得難い経験に目を向けるべきです。
ドラマや漫画でよくあるように、妊娠したことで将来のキャリアを諦めたことを後悔するのではなく、目の前の愛する子どもを抱きしめましょうということです。
あの日あの時あの場所で君に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のままです(出会えたことが良かったかどうかは知りません。。)。
ありきたりな話に聞こえるかもしれませんが、あり得たかもしれない華々しい未来よりも、現に経験してきた愛や経験に目を向けることの大切さを、もう一度認識しなおすことが大事です。
その他、過去に後悔をするというほどではないけれども、「いま」を選んだ結果、自分がこれからどうなるかわからない、このまま一生こうして過ごしていくのか、といった漠然とした不安に駆られるということもあります。
先が見えないことによる不安というやつです。
中年の危機にはこういうパターンも多いと思います。毎日代わり映えしない仕事に追われて、何も変化がない毎日を過ごしていく、さらには自分の仕事が自分がやるべきものかどうかもわからない、自分にはもっと他にやるべきことがあるんじゃないか、なんて考え始めるともう止まりません。恐怖です。
こういう方は、まず自分がしている代わり映えのない仕事、作業、日常に対する見方を変えてみることをお勧めします。
代わり映えしないことで言いようのない不安に駆られるのは、あなたが何かを達成したいのに達成できないことによる不安を感じるからです。明確なゴール・目的や目標というものが欲しいのに見えないからです。「毎日毎日毎日、掃除と洗濯ばかり、もう嫌!」というのも、目標が見えないからです。
でも、そもそも日常の多くは、何か目的をもって行うというものばかりではありません。ここに、目的を求めて、それが見えないことで不安を感じても仕方ありません。
ですから、何となく漠然とした不安を感じた場合は、目的ではなく、プロセスに着目して、その過程を楽しむということが解決策としては考えられます。
また、日常の雑務自体には大した目的はなくても、それがたとえば子育てなどの大きな目標のためのものであれば、そこに目的を見つけるという方法もあります。
熟年離婚はまさにそのパターンでして、専業主婦を強いられてきた奥様が、定年後の退職金と第二の人生を、日々の家事の目的にもってきたということですね。
これは駄目なパターンなんですけど。
あるときふっと感じる不安感や後悔に対する対策としては、今目の前にある幸せにきちんと目を向けること、日々の無為と感じる作業のプロセス自体に価値をみて、大きな目標達成のためのもと捉えるようにしたいですね。
そういえば、このブログも何のためにやっているのとよく聞かれます。改めて何のためなんだろうと考え始めると、私も漠然とした不安を感じてきました。。。
なので、書くというプロセス自体に価値をおきたいと思います。
ではまた(^^)
この記事へのコメントはありません。