東京ラブストーリーがリメイクされたり、浜崎あゆみの昔の自伝がドラマ化されたりと、さいきん昔を懐かしむような雰囲気が何となくあるように思います。
世のオジサマやオバサマは、そういうドラマをみては「昔は良かったな」とノスタルジーを感じて、そのうちのさらに一部は「あの頃に戻りたい」と後悔の念を覚えるわけです。
中年の危機という言葉もあるように、自分が一般的に成功しているといわれる社会的地位にあるかどうかにかかわらず、人は過去の人生を振り返るとき、自分が選択しなかった道を選択した仮の未来を想像して、後悔と挫折感を味わってしまいます。
人生がうまくいっていないのであれば、過去を振り返って喪失感を感じるのはわからないではありませんが、人生がうまくいっている(ように見える)人も、同じように喪失感を覚える人が多くいます。
人生がうまくいっているかどうかは、そもそもその人の主観に頼る部分が多いので、外部からはわかりませんし測れるものでもありません。ですが、これだけ多くの人が過去を振り返って後悔にさいなまれるのは、いくつかの理由があるのでしょう。
そのうちの一つが、後悔が選ばなかった選択肢そのものに向けられている場合です。
どういうことかというと、たとえば、あなたが金融機関とマスコミの両方から内定をもらって、より給与の高い金融機関を選んだ場合、あなたが金融機関で順調に出世を重ねていても、同期でマスコミを選んだ友人が華々しい世界で活躍している姿をみるたびに、後悔の気持ちが湧いてしまいます。人生のある場面で、これまでの過去を振り返り、「あの頃に戻りたい」と後悔を抱くことも、基本的な構造はこれと同じです。
後悔を抱いてしまうのは、別の選択によって実現される価値が、いま選んだ道で実現されている価値とは、別の価値を持っているからだからです。
どちらが正しいということではなく、選んだ道も、選ばなかった道も、それぞれに違った価値があるからということです。
ここでいう後悔は、必ずしも何か誤りを意味するものではないということです。
さてそうすると、全く後悔しないためには、完全に一つのことにしか関心を持たないようにしないといけません。しかし、現実的にそれは不可能ですし、可能でもちっとも楽しくありません。後悔の気持ちが湧くということは、それだけ多くの魅力的な選択肢が自分の周りにあったということの裏返しでもあるからです。それだけ人生が様々な選択と可能性に彩られたものであったということを意味しているということです。
過去を振り返って、必要以上に喪失感を感じて活力を失わないようにするためには、過去の選択に後悔を感じるということ自体が、可能性と選択に彩られた人生を歩んできたことの証であると認識することなんだろうと思います。要は、捉え方の問題ということですね。
私ももうすぐ40歳なので、過去を振り返るのはやめて、孔子先生を見習って、惑わないようにしたいものです。
ではまた(^^)
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