今日も相変わらずのコロナ騒動で、自宅でリモート仕事をしている方が多いでしょうね。
私は出勤して事務所で仕事をしているのですが、スタッフはいつもの半数程度で、電話の声も少なくて、個人的には仕事はやりやすくなっています。
外に出ても、新宿の街の空気が、なんだかいつもより綺麗に感じます。
よく人類が滅亡すると地球が綺麗になるって設定のSFモノがありますが、あれは本当にそうなのかもしれませんね。
自分がリモートで自分の仕事をする分にはいいのですが、指示を出すとなると相手がリモートだとやりにくいなと思わないではありません。
事務所のアソシエイトの弁護士は、交代でリモート作業をしているのですが、共同で担当している案件について、リモートだとうまく意図が伝わらず、もどかしく感じることがあります。
現在所属する事務所では、若手弁護士への指導も重要な私の業務なのですが、なかなか教えるというのは難しいなと、日々感じます。
今日、ふと、昨年末に読んだ日経の松浦寿輝さんの記事を思い出しました。
松浦さんは東大名誉教授の方です。記事のタイトルは、たしか「教える」から「助ける」といったもので、学生には「教える」ではなくて「助ける」という感覚で接してきたということが述べられていました。
「教える」というのは上限関係の構図があり、そこから派生する権力意識が惰性やハラスメントの温床になる、特権性に安住せずに学生には大らかな包容力をもって、学生自身で問題を解決できるように「ヘルパー」として導くべきだというものでした。
単に知識を教えるのであればパソコンで十分。教師は生徒に自分で問題解決ができるように導くガイド、ヘルパーであるべきというのは、すごく腑に落ちます。上下関係は一方向ですが、助けるというのは双方向的な感覚があります。教えることを通じて教わる、そういう関係性を説明するのには、教師という言葉よりもガイドやヘルパーのほうがしっくりきますね。
日常的にもビジネスにおいても、この双方向性というのはとても大事です。これまで何度も学んだように、交渉はお互いの利益を最高するために、互いに与え合うことにその本質があります。ギバーになろうということです。
松浦さん的な表現をすれば、交渉は自身の利益を最大化しつつ、相手の利益も最大化するガイド・ヘルパーとしての役目を果たさなければならないということですね。
ガイドやヘルパーというのも、感覚的にとても分かりやすくてよい表現です。
省みるに、自分が若いアソシエイトの皆に対して、そのようにふるまえているかというと、全く自信がありません。教えてやるという奢った感覚があるように思います。
ガイドやヘルパーの意識をもたなければ!
ではまた(^^)
illusted by Pablo Peiker
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